レクチャー#5の講師は、美術作家の高田冬彦さん。直近では、話題の展覧会が続く森美術館にて映像作品が上映されていました。 今回の逗子アートフィルムのレクチャーでは、著作権や性器の描写などの問題で美術館では上映が難しい作品も含めて紹介して もらうことが出来ました。「基本的に意味はない」と自分の作品について語る高田さんですが、一日中見ていると言えるほど画像を 見ることが好きで、いろいろなイメージソースがあるそう。作品についてと、発想の源について、キーワードから見ていきます。

■自分自身が出演すること
作品に自己出演してるため、「ナルシシズム」「自意識」「思春期の葛藤」といったワードで語られることが多いのが高田さんの作品。 撮影中は、ご本人自身のことを、「ひとり見世物小屋」のように感じると言います。キラキラした存在への憧れと、その一方で同時に、 他者を見下したいゲスな気持ちが混ざっている。ゴシップ週刊誌に対する大衆の欲望と共通するような感覚を、自分自身に浴びせていく。 自宅など密室で、自分の身体と内面とに向き合い、のめりこんでいく作業です。 一方それに対して、役者に演じてもらって撮影している作品は、全く異なります。たとえば、首から上を映さずに体だけをフレームの中に 入れることで、顔があること、あるいは顔がしめすもの/体がしめすものがそれぞれ違うことが明らかになり、映されている人間は抽象的 な存在になります。 高田さんは「自分が出演してやりたいことは、既にだいたいやり尽くした」と言います。作家自分が出演することの弊害は、作品というより も、体を張っていると 褒められるてしまうこと。誰が出演しているかではなく、アイディアを褒めてほしい、自身のナルシシズムだけでなく、もっと普遍性のある ものにしたいという危機感があり、最近の作品では自分は出ずに制作しています。

■実写であること
頑張っているけど失敗している、無理だけれど頑張っている。そういう状況を作品にしたいため、作品が身体表現であることは大事な要素だそう。 「頭の中ではイメージできる/実際の身体にはできない」ことを映像の中に落とし込むためには、必然的に現実の制約がある実写作品になる。 今後、CGをやってみたい気持ちはあるものの、身体から離れた表現には興味がないかもしれない。自分の体を忘れたところにある問題意識には、 いまいち興味が沸かないのだそう。作者の容姿の良し悪しと作風にも連関があるはずだし、ルッキズムはなくならないのではないか、きれいな人を みていいなと思うのは何なのか?と考えています。
■食虫植物
「VENUS ANAL TRAP」というハエトリソウをモチーフにした作品がある。食虫植物が好きで、小学生時代から育てていた。

■いじめ
高校時代の写真作品に、いじめられていた同級生の扮装をした自分の姿を写したものがあります。自分自身もいじめられてたし、あるいは時には いじめてしまっていたこともあり、自己嫌悪も混ざった複雑な感情がある。当時、いじめられていた同級生を観察していて、そこには、特有の マイナスのナルシシズム(いじめられっこにはスクールカーストが低いということで特別感を持っている側面がある)があることに気がつきました。

Sunset Boulevard(1993)
■妄想
好きな映画「サンセット大通り」では、往年の大女優ノーマが、おちぶれて殺人を犯します。ノーマが逮捕されるラストシーンで彼女は正気を失い、 映画の撮影のつもりで部屋から出て、現実世界の中で役として一歩一歩階段をおりる。こういった、妄想に取り付かれている人物に、感じるものがある。 (ノーマ役を演じた女優は、この役と同様に、無声映画で名を馳せた後、実際に「サンセット大通り」で再度脚光を浴びることになりました。)

■視覚的・形態的な興味
油画科に在籍していたこともあり、視覚要素にはこだわりがあります。
・「いないいないばあ」のような、子ども騙しだけど原始的で生理的なもの、光の明滅、TikTok
・緊張と弛緩(の不毛な繰り返し)
・彫刻的なものへの興味の一方で、積み上げたものがぐしゃっとなる瞬間がみたい(そして、それは動画でないとできない)

■グロテスクへの興味
・寓意画(ゴヤの版画のような大衆の愚かさへのカリカチュア)
・ドロルリー(中世の装飾写本の欄外装飾)は「コジコジ」のようにも見える。陽気だがグロテスクな身体のイメージ
・神話や民話にみられる滑稽表現。山口昌男、河合隼雄、大江健三郎などの著作

■キャンプ
「キャンプ」という言葉は(※一般に思い浮かぶアウトドアのキャンプのことではなく)、「キッチュ」にも近い、誇張や過剰な装飾性を意味します。
スーダン・ソンタグが言及しているワードで、高田さんの心にとまったそう。自身の作品がキャンプそのものとは思わないが、うまくいっていないもの、
整っていないもの、見られていることと自意識が一致していない痛々しい人といった、「キャンプ」なものが見たいという欲求がある。

■ディズニー
ディズニーはすごく好きで、中でも、「眠れる森の美女」は100回は観た作品。ポリティカル・コレクトネス(政治的・社会的に公正中立であること)が
重要視される以前のディズニー作品なので、王子様とお姫様の描写はお決まりの範囲におさまっていて、実はどういった人物なのかはあまりわからない。一方、
ストーリーを動かしているのは実は三人の妖精と魔女であり、すなわち「パワフルなおばさん」の映画とも言える。

■育った家庭
「美術手帖」が家に買ってあるような美術好きな家庭環境だったこともあり、小さいころから美術家になりたかった。母はウーマンリブ的な考え方の持ち主で、
シンデレラのように待っているだけでハッピーエンドを迎えられるのは物語の中だけだと言われて育った。「母親との関係は今でも良い」と言います。
(ボスの絵画「快楽の園」でベビーベッドをつつんでいたり、中学生の時にはニキ・ド・サンファルの画集をもらったという、驚きのエピソードも!)


LEAVE BRITONY ALONE! (2009/video,dvd/3m34s)
~作品紹介~
「LEAVE BRITONY ALONE!」
東京造形大時代の作品。ブリトニー・スピアーズが、大人気清純派アイドルからスキャンダラスな存在へと変貌し、さらにそこから再ブレイクを 果たしたというストーリーに惹かれた。開き直ったビッチであり、見世物的な存在であること、停滞期がありそこから這い上がったことのカタルシス。 もともとブリトニーのファンだったのではなく、この作品を作るために、熱烈なファンを憑依させようと聴き込んだ。普段は普通の人間だと思うが、 作品作りの際にはオブセッショナルにのめりこんでいる人になりたいと思っている。ブリトニー・スピアーズというアメリカのアイコンをねじまげて 使ってしまえること、アジア人男性の身体が演じていることに面白さがあり、愛の力でかえってゆがんでしまう様が描きたかった。「批評的な作品」と 評価されることもあるがそれは本意ではなく、本作は「冷静な批判」ではない。安全圏から、高いところから批評をしているのではなく、「カラオケで 歌ってのめりこんでいる/俯瞰の冷静さ」の両立がおもしろい。
「Ghost Patinting」 幽霊画の展覧会のために作った作品。カラヴァッジョが好きで、なかでも「ゴリアテの首をもつダヴィデ」(描かれた生首が、カラヴァッジョ自身の 自画像になっている)から、何かをやってみたかった。よく見ると表情がある自分の顔が、吉原治良作品のように、「演奏」するように円を描く。 「これが人形の首じゃぜんぜん面白くない。」

縦横無尽のトークから、高田さんのインスピレーションの多彩さと同時に、各要素のつながった世界観の有機性が感じられました。自身の作品について、 「これ、いいですよねえ」と言いながら解説されるのが印象的でした。現時点は映像作品がメインですが、立体も手掛けていて、作風を変えての新たな チャレンジも模索しているそう。今後の活躍も楽しみです。

執筆:荻野 珠
高田冬彦: 現代美術家、映像作家。作品は主に作者の自宅アパートで撮影され、時に作者本人も登場する。 密室で渦巻く独りよがりな夢想のようなものを、 ジェンダーやトラウマ、神話やポップカルチャーなどといった要素 と混ぜ合わせながら表現する。手作り感あふれるチープな演出や、ケバケバしい色彩センスも、 特徴のひとつである。 主な個展に『DREAM CATCHER』(Alternative Space CORE/2018年)、主なグループ展に 『MOTアニュアル 2016|キセイノセイキ』 (東京都現代美術館/2016)など。

ウェブサイト:http://fuyuhikotakata.com/



Zushi Art Films Project

Zushi Art Filmsでは、様々な芸術分野における、映像表現を話し合います。