2019年8月11日(逗子アートフェスティバル・プレ企画) 僕は東京造形大学という美術大学の映画専攻の卒業生で、今はその大学で映画を教えています。東京造形大学の映画専 攻はちょっと変わっていて、私達が一 般的に目にする映画だけでなく、実験映画という種類の映画について実践を通し て学ぶことができます。実験映画とは何かを一概に言うことはできないのですが、 シネコンや Netflix で見られるような、 脚本のある劇映画とは違った表現形式の映画のことです。僕は在学中の2010年にイギリスに交換留学をして、現代 美術を学びました。
今では現代美術といえば、絵画や彫刻だけでなく、映像やインスタレーションが含まれることは当 たり前ですが、当時の僕にはそういう認識がなく、留学して初めて美術の分野で 映像が使われているということを知り ました。僕は実験映画を映画の一分野として学んでいるつもりだったのですが、イギリスでは実験映画はむしろ、現代 美術の一分野として 捉えられているようでした。僕の作品は、映画と現代美術の境界領域にあるということができるか もしれません。その後、東京藝術大学のメディア映像専攻の大学院に進学し、 作家活動を続けてきました。 今日は、僕の作品の中から「動物 」「宇宙の舟」「アースフィルム」の つの映像作品のシリーズについて話した いと思います。
『水際の来客』/ Visitors from Riverside
( HD/ 上映版 6分 , インスターション版 4分ループ / 2017年制作 )

「動物SF 」シリーズ
このシリーズは、2011年から制作を開始しました。僕は生き物 をモチーフした映画をたくさん撮っているんですが、 その中でも、 このカニ、クロベンケイガニの作品は特にたくさん作っています。 他には、ヤドカリ、クモ、カエル、 ハト、ウシなんかも撮りました。 撮る場所も様々で、住宅やホテル、車の中などです。「水際の来客」 は「動物 」 シリーズの最新作で、今回はシングルチャンネル 版を見ていただきましたが、展示ではモニターを3つ使った インス タレーションとして発表をしています。シリーズは全て構造として は同じで、要素として、作者である 「わたし」と「カメラ」、「動物」 の 者の関係が描かれています。展示した時は、それぞれ、「わたし」 と 「カメラ」、「カニ」がそれぞれ別々のモニターで映っていていま した。このシリーズで僕がやりたかったことは、 人間と動物の境界 について思考し、ひいては「他者」とは何かという問題に対し、向き合うことでした。
「カメラ」と「カニ」の相思相愛の関係
僕は、この映画を「僕」が作ったのではなく、カメラが作ったのだと思っています。カニという被写体を選んだのも、 僕ではなく、カメラです。カニの形を思い出してください。わかりますか?カニは、16:9なんです。これは、 ハイビジョンカメラの規格と同じです。カニは、フルサイズで見た時に、最もフォトジェニックに見える、カメラに適した 生 き物なんです。僕は他にも色んな生き物を撮影しましたが、カニこそが最高の被写体だと確信しています。そして、 意 外なことに、カニにとってもカメラというものが重要な意味をもつことがわかってきました。僕がカニを撮影している となぜか、カニがカメラの前にわざわざ来て、ポーズをとってくれるんです。これは多分、このカメラのサイズがカニ に とって、非常にちょうどよいものと認識されているからだと思います。つまり、カメラはカニが自分の姿を隠すのに、 適した形をしているんです。僕は、撮影の時この場所にいないこともよくあるんですが、人がいない部屋の中でもそう いう カメラの側に来ようとするということは、カメラというものはカニにとって、安心するものなんじゃないかなと思 います。 カニとカメラは、まさに相思相愛の関係にあるといえるでしょう。
「カニ」が「わたし」を支配する
ハイビジョンのカメラは、カニを肉眼で見る以上の解像度で映し出すことが出来ます。カニの頬を伝う、鰓呼吸のため の 水の循環、すごいでしょう。本来、カニみたいな小さな生き物というのは、人間である僕にとっての観察対象です。 その力関係は対等ではない。だけど、カメラを通して生まれたカニの圧倒的な存在感に、僕は、彼らに対する畏敬の念 すら感じるんです。その時に、僕がカニを見てるんじゃなくて、カニが僕を見てるんだということに気づいたんです。 住宅やホテルという人間にとっての場所が、カニにとっての場所として、意味が作り変えられていくのを目の当たりに しました。 ゴジラが街を破壊するように、カニたちは人間にとっての意味を破壊していったんです。 ホテルで一晩中、カニを撮っていると、頭の中がカニ一色になって、次の日もずっと頭の中にカニがいました。 そうす ることで、深くカニと結びついたような実感を得ることができたのです。実際僕は、カニ撮り続けるうちに、 カニが何 求めて、どのように移動するのかがわかってきました。今では、カメラの前であれば、カニをほとんど自由自在 に動か すことが出来ます。これは嘘じゃなくて、物の配置や、風の流れ、水場の位置などを慎重にみていくと、できるんです。 ただ、それをもって、僕がカニのことを理解したということはできません。彼らに近づけば近づくほど、カニは僕の理 解を 超えていきます。重要なのは、僕がカメラを通してカニを見つめることで、僕自身に変化が起きたということです。 この変化 をもたらす力について、僕は思考したいのです。もし「わたし」というものが閉じられた存在であったなら、 その世界は不変 であり、何の変化もおこらないはずです。しかし僕が一見、人間社会にとって意味のない、カニをコン トロールするという能力 を得ることができたのには、「他者」からの何らかの働きかけがあったのではないかと思うの です。
カニとの関わり
撮影したあと動物をどうするんですか?ってよく聞かれるんですが、基本的に、元いたところに返しています。 キャッ チアンドリリースを原則としています。動物のためを思うのなら、なるべく関わらないほうが良いん じゃないかという 意見もよく聞くのですが、僕の考え方は違います。生き物を直接傷つけることはもちろん暴力です。 しかし、それより もずっと強い暴力があります。それは、無関心という暴力です。知らないことによって、 どれだけ多くのものを傷つけ ているかすら気付くことができないということが、本当に多くの場所で起こっています。 カニの住む多摩川の河口は原 発事故の後、かなり高い放射線量を示していました。また、それ以前には、工業地帯の 環境汚染によって、ひどい状況 にあったこともあります。このカニたちは、そのサバイバーです。彼らが、どういう 環境におかれているか知ること。 どう関われば、彼らを傷つけず済むのかを学ぶこと。そもそも彼らが、今ここに 存在しているということを知ってもらうこと。その上で、私たちとカニたちの関係について思考し続けていくことが、 必要だと思っています。
「宇宙の舟」シリーズ
次の作品は「宇宙の舟」シリーズです。映像作品をつくるうちに、自分が映画館での上映やギャラリーでの展示を前提 に作品を作っていることに気付きました。そうではなく、もっと、生活の一部としての映像制作を推し進めたいと 思 いました。このシリーズは基本的に Youtube で公開をしています。生活で起こる様々な出来事を iPhone で記録して、 1本あたり 分程度にまとめたシリーズ作品です。2013年から制作を開始して、今、 70本程度の映像ができています。

「宇宙の舟」/ The Spacecraft Diaries (HD/2013年より制作開始 )
僕がこのシリーズを iPhone で始めた最初の動機は、生活の一部と して映像制作をするということの他に、 他人とのより近い関係が撮 れるからという理由があります。カメラが小型化するに従って、人 はカメラを 意識しなくなり、自然な表情を撮影することができるよ うになります。今まで8ミリのフィルムカメラや小型のビデオカメラ がありましたが、iPhone はもっと多くの人に使われているので、 より効果的です。日常的に撮影を続けていると、 自分の撮りたかっ たイメージではなく、今まで知ることのなかった、自分自身の姿が浮かび上がってきます。 あとから映像を見ると、自分で撮影し たにも関わらず、こんなふうに映っていたのかとびっくりする ことがあります。 それは、「わたし」の再発見です。「わたし」 というものは様々なものとの関係のうちに、絶え間なく変化していくもの だということがわかります。
「アースフィルム」シリーズ
最後のシリーズ「アースフィルム」についてお話します。これ は先程の「宇宙の舟」シリーズからのスピンオフで、 こちらも Youtube での発表を前提としています。構造的には「動物SF」シリーズを踏襲していて、写っているのは 「私」と「カメ ラ」と「森」の つの要素のみです。一人で撮影しているため、 ほとんどの場合、三脚やゴリラポット を使っています。「アー スフィルム」はその名の通り、大地をモチーフとした映画とい う意味です。最初のアースフィルム は、富士山の麓にある原生 林、青木ヶ原樹海で撮影を始めました。今は、僕の住んでいる逗子の森戸川源流にある森で 撮影をしています。
ひとりで森を歩いていると、何かに見られているな、と感じる時があります。みなさんも、ひとりで誰もいないはずの 夜道を歩いている時に、そういう風に感じたことはありませんか?そういう時、見られていると感じた方向にカメラを 置いてみると、とてもしっくりくるんです。僕が撮っているのではなく、森に撮ってもらっている。そういう風に感じ ます。森の中では、「わたし」が「わたし」である必要がありません。道に迷った時は、木々や鹿、溶岩や虫たち、 過去や未来のわたし自身と話をしながら道を決めていくことが出来ます。名前の無い、あらゆる痕跡が、道を教えて くれます。そうして撮影を続けていくと、自分がいまどこにいて、いつの時代にいるのかが曖昧になり、自分自身の輪郭が 消えていくのを感じました。カメラのスイッチを入れ、カメラの前をうろうろと歩いていると、ふと、これはきっと 今生きている誰かに見せるためではなく、はるか未来の世界でこそ、意味のあるものになるのかもしれないと感じました。 それは例えば、人類が地球にいられなくなるほどの大災害や環境破壊の後、地球を忘れてしまった人たちが、地球とは 何であったのかを初めて知るために見る映像になるのかもしれないと。
アースフィルムは、大地をモチーフにしています。そして、三脚を使っています。三脚を使うのは、人間の身体ではなく、 大地がカメラを構えるためです。大地がカメラを通して、世界を見ているのです。大地をモチーフにし、三脚を使って映画 を撮影すること。このシンプルなルールが、アースフィルムの条件です。
カメラと森の迷宮について
メタフィクション」という考え方があります。フィクションの中に、さらにフィクションがあるといった、入れ子状 の構造のことです。例えば、映画の中で、撮影チームが写り込んで内容に影響を及ぼすようなものがその典型です。最 近、「カメラを止めるな」というゾンビ映画が話題になりましたが、あれも一種のメタフィクションです。フィクション であることを自覚しているフィクションと言い換えることもできるかもしれません。僕の映画にもたびたびカメラが 映り込んでいて、メタフィクションの構造になっています。これはつまり、映画の中にいる「わたし」と「あなた」の 他に、俯瞰した視点を持つということです。僕はこれを、カメラそのものの視点だと思っています。「鏡の森」は、 2台のカメラで撮影をしています。映画にカメラが映っている時、カメラの撮影しているのはカメラです。カメラを写す カメラがあり、さらにそのカメラはカメラを写している。そのループする構造には、入り口もなければ、出口もありません。 この映画では、視線はカメラの迷宮を永久に彷徨います。 森にも同じ構造があります。森には、入り口も無ければ、出口 もありません。これは比喩ではありません。森を遠くか ら見て、「あれは森だ」と指さしてみましょう。しかし、その指 の先をたどっていくと、あるのは樹木の葉脈であったり、 岩にこびりついた苔だったりする。森の中では、似たような構造 が反復していて、どこからが内で、どこからが外であ ると言うことができません。森をひとつのものとして捉えようとしても、 その視線は永遠に森を彷徨うのです。 カメラが森を写しているとき、カメラは森の一部としてあります。どこまでいっても、 全体は姿を表しません。森もカ メラも同じように自己言及的で、内と外がありません。
「わたし」×「カメラ」×「X」
これまでに「動物 」、「宇宙の舟」、「アースフィルム」、 つのシリーズを観ていただきました。このシリーズの どれも「わたし」と「カメラ」と「何か」の つの関係について語っています。この「何か」は「カニ」であったり 「森」 であったりします。これを仮に「X」としましょう。「X」に新たな要素が加わるたびに、僕自身が「X」 の存在に引 っ張られて、変化していきます。「X」に「カニ」が入れば僕は「カニ」になり、「X」に「森」か ゙入れば、僕は森にな ります。 僕はいつも、撮られる自分を想定しながら、自分自身で撮影をしています。そういう見方をしていると、自分自身が、 ある関係性の内にあるということがわかってきます。映画の中で僕は「わたし」と「カメラ」と「X」の つの関係性 の中で揺れ動いています。映画の中で「わたし」は「わたし」である必要がありません。重要なのはそこにある関係性 であって「わたし」とは絶対的なものではなく、入れ替え可能なものなんです。そこにおいて、「わたし」は「カニ」 にもなれるし、「森」にもなれる。あるいは「カメラ」にもなれるのです。「わたし」は「X」の反射した、もうひとつ の「X」です。

僕の考える映画というものは、「カメラ」を中心とした 、 、 ・・・ との関係性そのものです。全ての 「X」は、カメラによって結ばれていて、かつ「X」は他の全ての「X」を反射している。このネットワークを 僕は、映画の「生態系」と呼びたいと思っています。映画の生態系は、森の生態系と相似形です。この生態系への 理解なしに「わたし」への理解はありえません。「わたし」とはこの生態系そのものなのです。



Zushi Art Films Project

Zushi Art Filmsでは、様々な芸術分野における、映像表現を話し合います。